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今から40年前の1970年に大阪吹田市で国家プロジェクトである万博が開催されました。
入場者は、実に6,400万人!国民の半分以上です。
実は私が生まれた年でも有ります。(*・・*)
当時、塔の中は、空洞になっており内部に入る事が出来ました。
「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントが中心に位置し、エスカレーターで上ります。
「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメントが中心に位置し、エスカレーターで上ります。
太陽の塔は万博終了後に取り壊される予定でしたが、撤去反対の署名運動があり残されたそうです。
皆様も一度は写真等で目にした事があると思います。
40年前の写真
現在も残され、万博記念公園のシンボルとなっています。
当時の面影は無く当たり一面芝生です。
現在の写真
皆様、この「太陽の塔」の裏側って見たこと有りますか?
私は裏側の存在すら知りませんでした。
今回写真を撮ってきたのでご覧ください。
裏側は・・・
今回写真を撮ってきたのでご覧ください。
裏側は・・・
裏側は・・・
実は・・・
この様になっておりました。
『過去を表す黒い顔』だそうです。
なんだか見てはいけない物を見た様な感じで怖かったのですが、40年前生まれた歴史と重ね合わせ、暫くボーっと眺めていました。
ドクターフィッシュとは、コイ科の「ガラ・ルファ」という魚で、
「水槽に手を入れると、皮膚の古い角質をついばんでくれて、美肌になる」
「水槽に手を入れると、皮膚の古い角質をついばんでくれて、美肌になる」
「海外では皮膚病治療にも使われている」
などとして、少し前にブレイクしたのも記憶に新しい。
などとして、少し前にブレイクしたのも記憶に新しい。
近年は、フットサロンのメニューとして取り入れているお店もあったりするようだ。
実際に体験すると魚たちはわらわらと集まり、本当に指先をついばんでくれた。
くすぐったい感じが、いとおしく、見ず知らずの客なのに、このサービス。
申し訳ない気持ちにすらなる。
10分後には、本当に足がつるつるになりました。
昔テレビで見たときは水着になり全身ついばんでもらっていたので、今度チャレンジしてみたいと思っています^^
自動車のメーターが77777kmを指しましたので写真を撮りました
地球1週が4万77kmだからゆうに超えています。
この間、大きな事故も無く目的地まで運んでくれたのだから感謝です
車を購入してから調度7年目の出来事でした。
ちなみに朝7時です。 (どうせなら7分に調整すれば良かった・・・><)
ちなみに朝7時です。 (どうせなら7分に調整すれば良かった・・・><)
誕生日も7月なので 『7』 は好きな数字です。
昔 嘉門達夫が、『数字が並ぶのを見て喜ぶ小市民』 と歌っていましたが、まさにそんな感じです^^
確かに都会では駆除に困るくらい沢山いるカラス。
夕方になると何処からとも無く集まり夕焼けの空を群れで飛んでいますよね。
ゴルフ場にも沢山います。
夕方になると何処からとも無く集まり夕焼けの空を群れで飛んでいますよね。
ゴルフ場にも沢山います。
一説には死期を悟ると、決められた場所に行き人目がない所で密かに死んでいく・・・
とも言われています。
前から気になっていたこの噂、少し調べてみました。
真相は・・・
◆ 道路などで死んでいた場合、市の職員がすぐ始末する。
◆ 道路などで死んでいた場合、市の職員がすぐ始末する。
◆ 山の中で死んでいた場合、シデムシや微生物が処理する。
◆ 動物学者の意見では共食いもある。等々
山で散歩する人やバードウォッチングをしている人は結構見ているようです。
良く考えれば飛ぶ元気も無い年老いたカラスは寝床の周りからあまり離れなくなるのは当然です。
人気のない場所でひっそりと寿命を迎えるのですね。
UFO研究家 矢○○一の『死んだ瞬間に消滅する・・・』これはでたらめです
中学生の娘に 「誕生日お祝い何が良い?」と聞いた所、「寄生虫館に行きたい!」と即答。
確かに昔、「こう云う所が有るんだよ」って話はした事があるけど、ここに来てまさかの要望。
確かに昔、「こう云う所が有るんだよ」って話はした事があるけど、ここに来てまさかの要望。
お兄ちゃんは来ませんでしたが、嫌がるママにもしぶしぶ付き合って貰い、3人でいざ目黒へ。
世界で唯一の寄生虫博物館で入館料は無料です。
身体に必要不可欠の寄生虫・害でしかない寄生虫等、様々な虫が展示されていて中々面白い。
人の腸から出てきた8.8mのサナダムシも展示してありました。
他にも目を背けたくなる寄生虫がうようよ。
身体に必要不可欠の寄生虫・害でしかない寄生虫等、様々な虫が展示されていて中々面白い。
人の腸から出てきた8.8mのサナダムシも展示してありました。
他にも目を背けたくなる寄生虫がうようよ。
娘はと云うと8.8mのサナダムシを模したロープを首に巻いて遊んでいるしまつ。
キャーキャー言いながら喜んでいました。
若いカップルなんかもデートに来ていました。
出口付近にはTシャツやら文房具等、寄生虫グッズの販売。
本物が入っているキーホルダーもあります。
「友達に買っていこうかな」と楽しそうに思案していました。
本物が入っているキーホルダーもあります。
「友達に買っていこうかな」と楽しそうに思案していました。
5月4日は緑の日。
緑の日とは 『自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ』 とされています。
……という事で自然のなかでバーベキュー
①プロによる調理 この大きさがあっという間に胃袋に収まります
どうやら今年の夏も例年通りの暑さの様で、計画停電が思案され冷房を必要としている企業は対策に四苦八苦しているようです。
改めて私たちの生活は電気に依存していることに気付かされます。
今回は、震災が起きる少し前に行きました電気の無い『ランプの宿』のご紹介です。
人里離れた一件宿。
宿までの交通機関が無く道の駅まで専用バスに迎えに来てもらうのですが吹雪の日は、雪上車での送迎になるそうです。
①都会の慌しさとは無縁の村です。
②周りは山ばかりで他には何もありません。
③温泉は4箇所。露天風呂『滝見の湯』は最高です。
JRのポスターにも起用されています。 写真は内湯。
すぐに目は慣れてきて優しい明かりの中、食事も美味しく感じました。
テレビ、ラジオ有りません。勿論携帯も圏外。
おしゃべり意外、得にする事が無く温泉に入った後は、地酒を呑んで寝るだけ。
明治時代のような生活スタイルです。
この時は電気のない生活も情緒が有り癒されるなとも思いましたが、それはたまにだからで有り、実際に生活するには、不便だと言わざるを得ないのが現状です。
電気が無くても生活できるとは言え理想と現実の狭間で葛藤してしまいます。
兎に角、我々が出来る節電の最大の努力は必要不可欠と感じています。
横田基地運用司令官 ヘリング大佐家族がドイツに赴任する事になりました。
被災地への 『トモダチ作戦』 義務を超えた多大なる尽力を尽くしていただきまして、本当にありがとうございました。
大佐も、非常に名残惜しいと申しておりました。
当日の様子です。
関係者も含め50名以上集まり、日米交流戦の野球を楽しみました。
物凄く甘くて濃厚。アメリカっぽい。
こんな記事がありました。
有り余るパワーを良い方向に転換した少年達。
大事なのは、継続。
以下記事より抜粋です。↓
【震災機に解散、ボランティアになった暴走族 】
茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族の解散式が17日、水戸署で行われた。今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや浜辺の清掃などを行うボランティアチームとして再出発する。
解散したのは、同町の高校生など15人で構成された「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」。メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、集団でバイクを乗り回し、爆音を響かせてきた。
解散のきっかけは東日本大震災。避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われ、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったという。泥まみれになった町役場の清掃に参加するメンバーも現れた。
解散式では、暴走族の少年総長(16)が「今まで地域の人に迷惑をかけた。今後、暴走行為は行わない」などと宣誓書を読み上げた。「族旗」も水戸署大洗交番所長に手渡し、同町職員や警察官らから拍手が送られていた。総長は「これからは同じ境遇の少年たちも巻き込んでボランティアとして頑張りたい」と誓った。
茨城県大洗町を拠点に活動していた暴走族の解散式が17日、水戸署で行われた。今後、津波で大きな被害を受けた同町の復興のため、がれきの後かたづけや浜辺の清掃などを行うボランティアチームとして再出発する。
解散したのは、同町の高校生など15人で構成された「全日本狂走連盟愚連隊大洗連合ミスティー」。メンバーが入れ替わりながら約30年間、同町や水戸市などで、集団でバイクを乗り回し、爆音を響かせてきた。
解散のきっかけは東日本大震災。避難所などで「敵」と思い込んできた近所の大人や警察官から「飲む水はあるのか」などと気遣われ、「暴走なんかしている場合じゃない」という気持ちが強くなったという。泥まみれになった町役場の清掃に参加するメンバーも現れた。
解散式では、暴走族の少年総長(16)が「今まで地域の人に迷惑をかけた。今後、暴走行為は行わない」などと宣誓書を読み上げた。「族旗」も水戸署大洗交番所長に手渡し、同町職員や警察官らから拍手が送られていた。総長は「これからは同じ境遇の少年たちも巻き込んでボランティアとして頑張りたい」と誓った。